遊び呆けていることばかり書いてもあれなのでまじめに論を展開していこうと思う。
テーマは題名にある通り,
「フリースクール」
について。
日本でも学校へ行かなくても出席扱いになるような機関がポツポツ出てきてるよね。
それが題名の通りのフリースクールなのか,家庭教師的な機関の延長なのか。はたまたオンラインなのか。学校へ行けない子どもたちの増加に合わせて,学習環境の種類というものが注目されている。
でも,「学びの場の多様化」という言葉がよく似合うような社会,にはまだなっていないと思う。
それは一般的な常識や見方が,学校以外の教育機関を隔たりなく受け止める準備ができていないからなのかなと思う。
でも世間の準備を,実際の仕組みは待ってくれない。そろそろ公教育の制度の限界が近いんじゃないかな。
今義務教育学校が担っている最大の役割は何か。それは
「一時預かり所」
だ。共働き世帯が数多くいる中で学校がなくなってしまうと,子どもは誰からも管理されなくなり野放しとなる。その状況で子どもたちはどう過ごすか。きっとカオスな状況が生まれる。一度崩れた歯車を戻すのはとても大変。この間街の路地裏にある居酒屋で,たまたま20歳離れた同じ地元の先輩と知り合った。自分の母校の話を聞いたが,それはそれはとんでもない状況だったと知った。その事態を再び引き起こさないためにも学校による管理は不可欠だと思う。
ただ逆に,近年注目される「深い学び」を実現するという観点から言えば今のままでは当然無理だと思う。1人1人にあった指導を求める世間と,集団のパワーを操りながら大きな問題を起こさないようにまとめていく実態。個ばかり見ていては集団は作れない。(1つ1つの個から集団を作り上げる,という方法を掲げる場合もあるけどそれにはどのくらいの年月がかかることやら…)
じゃあより質の高い,深い学びを得るにはどうすれば良いのとなったときに,選択肢としてフリースクールをはじめとした外部機関が出てくるべきだと思う。もちろん学校と同じような金額でそれを受けることは不可能だし,それ相応の対価を払わなければいけないけれど,子どもが大人なった時の成長幅を考えれば安い投資なんじゃないかな。(最近は子どもがいる家庭でも,親が自分のセミナー代にウン十万〜掛けている,といった話もちらほら聞く。そこと比較したらより未来の長い子どもの学びにしっかりと対価を払う,ということは大したことではないのかも?)
なーんて他人事のように自分にどうにもできない制度の話をしてしまった。
でもせっかく広がってきたネットワークの環境をうまく利用して,本当にそんな考えで過ごせる日本になると良いなと思う。